【映像を創る理由】負け続けた人生だからこそ、表現できるものがある。

文字数:5400文字

 

どうもカネザキです。

アニメーション映画監督を目指している、18歳の若者です。

僕は、映像を創るにあたり、たった一つの信念があります。

 

「不安定な世界、不完全な自分を、それでも愛す」

 

簡単に言うと、人生は楽しいモンだと信じていたいし、皆さんにも信じてほしいんです。

 

しかし、ただ「楽しいよ!」と、輪郭の無い言葉で言われても、何だか無責任ですよね。

なので僕の得意な「映像」という形で、外側の世界を表現することで

僕の信じる世界の、音や感触、匂い、風景などを全身で味わって頂きたいです。

そしてその一つ一つの感覚を、今生きているこの内側の

現実の世界を、自分を好きになるきっかけとして、持ち帰って頂ければと切に願っています。

 

そこには、言葉を遥かに超越した、「楽しい」の説得力があると信じています。

●ひたすらに、負け続けたからこそ。

人生は楽しいものだと、誰もが信じていたいと思います。

ですが、少なくとも僕の価値観では

人生は大抵、思うように舵取りできません。

特に僕の人生は、挫折と失敗だらけで、運命に翻弄されるままでした。

ですが、そんな傷だらけで、地獄の底まで堕ちた僕にしか見えない景色、

描けない世界があるのだと思うんです。

 

昔から僕は吃音症で、コミュニケーションが大変苦手です。

母親とも手く話せません。兄とも、もう何年も話していません。

その上地頭も悪く、高校受験にも失敗してしまいました。

アルバイトでも、コミュ力も無ければ同時にタスクもこなせず、自己嫌悪な毎日でした。

学校の生徒とも上手くいかず、吃音になる自分を見るのも恥ずかしくて

話せないより、「話さない」という大義名分を作りました。

学校行事でも、完全にエキストラ状態で、主人公らを常に遠く、後ろから

見つめているような人間です。今でもそうです。

高校時代廊下を歩いている時、僕自身がカメラになったような

大変奇妙で、気持ちの悪い感覚を覚えました。

あまりに存在感が無いので、高校3年間の僕は

こんな言葉を自分に言い聞かせ、またもや自分を正当化していました。

 

「僕以外のみんなは、うちゅうじんだ。だから、僕とは関係ない。」

 

特に、高校2年生の時、隣に座っていたO君との会話が、未だに脳裏に焼き付いています。

その時、僕らはエプロンを自作する授業を受けていました。

O君は、他の同級生と、自分のエプロンについて楽しそうに話していたので

僕も自分のエプロンを見せて、負けじと勇気を出して話しかけました。

僕「O君!これどう?」

 

同級生「・・・しらねーよ」

 

 

そのうち僕は、何事も諦めるようになりました。

高校の頃に夢見た生徒会長の夢も、進学の夢も。

頭ごなしに入った会社も、3週間くらいで、逃げるように辞めました。

 

諦めて、諦めました。

 

僕はひたすらに、僕を憎みました。同時に僕に憎まれました。

 

何でお前は、お前だけは、話すことすらできないんだ。

 

僕は、自己嫌悪の塊で、一番嫌いなのは自分自身です。

なので、僕のように、自分と喧嘩している人と会うと

痛いほどその感覚が心に刺さるので、その人も嫌いになります。

隠してもムダです。痛んだ心からは、叫び声のような何かが滲み出てくるのです。

 

僕はぶん殴って、記憶から消し去りたい自分ばかりがいます。

実際、ひたすら自分の顔や、学校の壁をぶん殴って、苦しみを堪えていた日もありました。

本当に苦しくて、自殺しようと決意した、コンビニバイト帰りのあの日は忘れられません。

 

僕は苦しい思いをして生きているのに、皮肉にも、平和で美しく世界は廻り続ける。

なぜ僕だけこんな思いをしなければならないんだと。

僕は、自分が生きるこの世界すら憎んでいました。

 

母子家庭の母は、僕と兄のために、2800万近くしたマンションの一部屋を買ってくれたのに

結局僕は、2年足らずで、家を出て1人暮らしをすることになりました。

母は、気が固い親父のような性格で、笑うことすら恥じる人間です。

恐らく、それほど厳しい環境で、必死に自分を押し殺して、堪えて生きていたんだと思います。

そんな母親の苦しみや苦痛の叫びは、声ではないものの、残酷なほど伝わってきます。

 

そして僕は、親と世間話をした記憶がほとんどありません。

母親と話したくても

吃音で話せない。どうやって話せば良いか、そもそも分からない。

 

親から認められていないと思った僕は、小学校の頃、万引きを繰り返して

自分の承認欲求を満たそうとしていました。

また、なぜだかトワイライトスクールの一室に、万引きしたお菓子を置いて

先生の注意も引こうとしていました。

恐らく母親や父親、先生などの大人に、目を向けてほしかったのだと思います。

ただ、「愛しているよ」と

言ってほしかったんだと思います。

もしかしたら、僕が映画を創っているのも、万引きと同じで

ただ、親に認められたいだけなのかもしれません。

 

高校を卒業して家を出る時、僕は母親に何度も言われました。

 

「父にも母にも、なんにも感謝していないんか?」

 

僕は、何も言葉が出てきませんでした。

それほど、僕と母親の間には、大きな空白ができていました。

これ以上、母親の苦痛を感じて生きるのは辛いので

僕は進学を諦めて、1人暮らしで生きると決意しました。

母は認めてくれましたが、恐らく大きな穴が開いていると思います。

 

家を出るとき、母は最後にこう言いました。

 

「元気で、しっかりやりや。」

 

普段言わない言葉に、僕は少し動揺しました。

母親なりの、精いっぱいの愛情と優しさがこもった言葉だと思いました。

そして、別れを告げてマンションのエレベーターに乗った時

これが最後だと思うと、僕はなぜだか涙が溢れてきて、驚くほど溢れてきて

止めることなんてできませんでした。

記事として書いている今も、ちょっと思い出してしまって、泣いてしまいました。

恐らく、母親もあの時、家で1人泣いていたと思います。

 

「もっとああしていれば良かった。」

 

この世界は不安定です。また僕は負けました。

 

きっと僕は、この大きな穴を埋めるために

映像を創りたいのかもしれません。

 

そして、就職した航空機製造の職も3週間ほどで辞めました。

会社が嫌になったワケではなく、吃音症で、頭も悪い自分を見るのが嫌で辞めてしまいました。

 

もう本当に、何もかもが上手くいかなくて

何もかもが嫌で、家族も進学も就職も、自分からも逃げました。

そして、なんとか友人宅に居候させて頂きつつ、今の自分がいます。

 

僕は今まで記述した通り、コンプレックスの塊です。

今でも、自分が嫌いです。

今の自分では、この世界は生き辛くてしょうがないんです。

それほど僕は欠点だらけで、それを見て見ぬフリをして生きるのが

精一杯だったんです。

ですが、最近では、そんな僕だからこそ、表現できる世界があるのではと

思っています。

一度地獄まで堕ちた人間にしか見えない世界、感覚が僕にはあります。

常に見下され、蔑み、遠く後ろで見ていた僕にしか描けない景色。

それは同時に短所でもありますが

視点を変えれば、長所として生かすこともできます。

 

不安定な世界、不完全な自分を、それでも愛す

 

僕は今、自分の人生を通じて、そんな世界を描いていこうと決意しました。

僕や母。コンビニの店長や、アルバイトの先輩、学校の先生など。

思えば、この世界や自分と葛藤して、苦しんでいる方を何人も目にしてきました。

もちろん、声としてではなく、心の叫びが通じてくるんです。

そんな、生きる意味を見失ってしまうほど心に傷を負って

自分を見失って、堪えて生きているような。

過激な表現をすれば「人生に失敗した人」のために

僕は映画を創り続けたいと思っています。

 

また、僕自身もまだ、この世界や、自分を愛せるわけではありません。

まだまだ僕は嫌いなものだらけです。

吃音も、字頭の悪さも、一生治らないかもしれません。

母親とも、仲直りできないかもしれません。

今までの忌まわしい記憶は、消えることはないでしょう。

 

ですが、それでも世界は当たり前のように廻り続けます。

まずは、そんな世界を、自分を、自分自身が愛せるようになりたいです。

 

そして僕を含めた、全ての人間が、この不安定な世界、不完全な自分を

少しでも愛せるような、映像創りをしたいと思っています。

 

コチラ↓にも、経緯が詳しく書いてあります。

【僕の夢】自作アニメを、全国の映画館で上映して回りたい!

●赤ちゃんに還って、愛情を取り戻したい。

僕は、この平凡な世界を美しく表現することで

希望に溢れていて、自己中だった赤ちゃんの頃に戻りたいのかもしれません。

なぜなら、どんな人でも人生を生きる過程で必ず

心のどこかで、辛くて仕方ない思いをしている人がいると思うんですね。

今までの僕ももちろんそうですし、きっとこれからもあると思います。

 

悩みがなさそうな人でも、心のどこかに弱い部分というか、脆い部分があると思ってて。

悩みが無い人なんて絶対いないと思うんですよ。赤ちゃん以外には。

成長の副作用として僕たちは、どこかで心が汚れてしまうと思うんですね。

少なくとも今の僕は、心が成長した分、幼い頃のように、感情を爆発させるような

希望に満ちた世界では無くなってしまったように思います。

こういうのを性善説っていうんですかね。

 

普段は隠して、それが見られないように踏ん張っているかもしれないですが

せめて映画の中では心を開放して頂いて

自分勝手で希望に溢れていた赤ちゃんに戻ってほしいんです。

そして、そのフレッシュな気持ちを少しでも、この世界に持ち帰って頂ければ嬉しいですね。

自分を見失っていた時に、少しだけ自分の軸に立ち返れるような。。

 

意味わからないことばかり言っててすみません!

 

ようするに、映画を見て、ちょっとだけ人生に前向きになってほしいということです。

世の中の頑張ってる(僕も含めた)全ての人のために映像を作りたいなと考えてます。

なので、僕のを含めた、皆さんが赤さんへ戻れるような世界を、映像で表現して生きていくことに決めたんです。

なりより自分が戻りたいんですけどね。

 

長々とすみません。でも、この信念は

僕の今までの人生を総合した、僕の価値観そのままなので

映像に関わらず、僕が創作するもの全てに一貫していると思います。

 

●具体的にどんな作品作りたいの?

「心の開放ってなんやねん!具体的にどんな映画だよ!」

という方もいると思うので

僕が目指している理想的な物語を

なんかネタバラシのようですが紹介いたします!

 

言の葉の庭

僕らの住むこの世界を、孤独で、どこか寂しく肯定しつつも

それでも素晴らしい世界であることを究極の映像美と

緻密なストーリーで表現しています。

心が汚れているほど感動できる作品です。

従って、子供の頃にみても面白く感じないかもしれないですね。

本当にお勧めの作品なので、私生活に疲れた方、一見の価値ありです!

 

なんというか、僕たちの生活の延長線上にあるお話なので

すぐに感情移入してしまいましたね。

そして、登場人物それぞれの負の感情に触れることによって

普段言葉にできないような、してはいけないような

一つ一つの感情が解き放たれて

僕は、心が解放された気がしました。

キャラが代弁してくれるんですよね。

クライマックスシーンでは音楽や映像美が合わさって

非常にカタルシスな展開になりましたね。

登場人物の負の感情が一気に解き放たれたと同時に

僕らの心も開放されたからだと思います。

普段抑えている感情が、一気に解放されたとき

人は「泣く」のではないでしょうかね。

そして泣くと、なんだか清々しい気分になって

曇っていた視界が一気にクリアになるというか

新たに生まれ変わったような気分になります。

泣くまではいかなくとも

そんな体験をしてほしいんですね。

 

 

タウンワーカーズ 第二話「君の夢を読む」

日常生活の尊さや寂しさ、平凡さをを

ロストスコープ(実写をもとにアニメーションを作る手法)で

リアリスティックに描いたアニメCMです。

この作品は特に何にも起きません。

なんにも起きないからこそ素晴らしい作品なんです!

だって僕らの世界も特に何も起きないんですもん。

実は、これは僕の理想に最も近いですね。

普通にバイトして、普通にしゃべって、普通に帰って、普通に就職して。

みたいな、普通をひたすら肯定していくことで

僕たちの日常生活の尊さに気づくことができます。

こいうのを見た後の日常生活は、ちょっとだけ景色が

美しく見えてきますよね

新海さんの作品も特に。

これも心の開放の一つだと思います。

 

衝撃だったので昔紹介しておりました。

【ロトスコープ】岩井俊二監督作品 タウンワーカーズが人間臭すぎて開いた口がふさがらない。

 

 

 

つまり、何にも起きないような僕らの私生活を

どこか寂しくも、美しく淡々と描いた、等身大の作品を描きたいんです!

これらの作品を足して2でわったような映画を作ると思って頂ければ

一番分かりやすいと思います笑

 

 

●なぜアニメ映画を選んだの?

 

僕は絵をある程度上手に描けるくらいには自負できます笑

ならマンガや、イラストでも良いわけですよね。

ではその中でなぜ、僕はアニメを選んだのか?

赤裸々に告白します。

 ②映画に恩返しがしたいから

あまり深く書きたくはないですが、僕は昔

本当に辛い挫折を、何度も味わいました。

特に高校生の頃は本当に、同時に色んな挫折に挟まれて、あまり言いたくないけど。

ホントに生きるのやめたかったです。

期待に夢見た高校生活も、受験に失敗して、底辺の学校に入ってしまった上に

運悪く、とりわけめちゃくちゃなクラスメイトと同じ教室で3年間過ごすことになりました。

簡単に言うと、3年間全員苦手なクラスメイトと過ごすようなもんです。

誰も勉強せず、授業として成立しない、意味不明な授業ばかり。

多くの真面目な生徒は学校を辞めていきました。

友達も1人しかできず、なりたかった生徒会長も諦めました。

勉強もしなくなりましたし、不登校になりました。

同時に家族の仲も一気に悪くなり、食事も別にとるようになりました。

その上吃音症なので、バイトも上手くいかず、辛い日々。

理想と現実がくそみたいにはなれていて

当時は生きることが完全に意味不明になっていて

学校に行くこと、家に帰ること、バイトに行くこと、全てが地獄のようで。

常に、内臓をえぐられているような気持ち悪い感覚がして

学校で1人のとき、ひたすら壁を殴ったり蹴ったりして

ストレスをぶつけていた時もありました。

 

そんな地獄から唯一逃れることができたのが

僕にとって映画なのでした。

 

高校で初めて見たのは、本格SFの「インターステラー」

それ以降は映画の魔法にとりつかれたように、映画館へ行きましたね。

僕は映画館の「別世界感」が好きで、家ではなく映画館へ通いました。

映画を見ているときだけは、普段の嫌な人生をを全て忘れて、別の人生を

生きることができて、それが本当に楽しくて、当時の救いだったんです。

僕は本当に、映画に救われました。

もし映画に出会わなければ、3年間持たなかったかもしれません。

それくらい僕にとっては、重要なターニングポイントになったんです。

 

そして、数々の名作と出会い、その思いは次第に

「自分で映画を作ってみたい!」

という思いへ変わっていきました。

そして少し調べてみると、イオンシネマでは

スクリーンをまるごとレンタルできてしまうことを知ってしまいました。

これを活用して、自分で作った映画を

映画館で見ることができたら

なんて興奮できることだろう!と思ったことがきっかけですね。

今までは、スクリーン上映なんて夢のまた夢だと思ってましたから。

そして、できれば今でも通っている

109シネマズ名古屋で、自分の映画を見てみたいですね。

実は単純な好奇心でもあるんです。

 

③総合芸術が楽しそうだったから。

純粋に楽しそうからなんです。

アニメは、映像と音楽が組み合わさった総合芸術とよく聞きます。

漫画やイラスト、小説は、絵や文字でしかなかったないので

(その分、読者のイメージできる余地があって面白いと思いますが)

その上で何がしたいのかと考えれば

アニメに可能性を感じてしまいましたね。

特に音楽や音響にも大変興味があったので

それらが合体した映像ってめちゃくちゃ楽しそうじゃない!?

と考えるようになり、アニメに挑戦したいと思うようになりました。

 

その上、やっぱり表現できる閾値が、漫画やイラスト、小説よりも

圧倒的に幅広いと感じたので、その分難しい領域だとは思いますが

そこに魅力を感じたからでもありますね。

僕は圧倒的な質量を持つものに取りつかれてしまうタイプなんです。

ロケット然り宇宙然り。

 

また、マンガやイラストは少人数、あるいは1人で

完成可能ですが、アニメではそうはいきませんよね。

何十、何百の方と、一緒に一つの作品を

作り上げていきます。

そこに、面白味を感じていたります。

絵を描く人や声優、背景や営業など

色んな方と一つの夢を追いかけるって

なんか楽しそうじゃないですか

完成したときのやりがいも、感動を共有できて

ロマンあるなぁと思ったからでもあります。

将来は、色んなシンガーさんなどとコラボして

面白いアニメを作っていきたいですね!

 

④憧れの監督がいるから

やっぱり、僕の方向性とよく似ている

いやほとんど同じだと思うのは

新海誠さんですね。

世界の肯定感が同じというか。

等身大の日常生活を儚く、美しく描きたい部分では

かなり似てしまっていると思います。

僕が新海さんを真似たのか、たまたま似てしまったのか

どっちもあると思いますが、非常に憧れの監督です!

僕のロールモデルですね。

一度お話してみたいです。話が大変合いそうで、一度この目で見てみたいです。

映画を作りたいと思ったきっかけも、新海さんの影響かもしれません。

いつか同じ土俵に立って、一緒にアニメ映画を盛り上げていきたいです!

 

⑤どうしても作りたい映画があるから

僕は宇宙が大好きなので、宇宙へ絶対行きたいです。

そのために僕は将来、インターステラーのような

どこか孤独でありながらも、壮大で幻想的て、等身大の

宇宙SFを作りたいと思ってます。

僕の原点 インターステラー

 

思っているというか、作らなければ逝けません

映像作っちゃえば、自由に宇宙を旅できるじゃん

という魂胆ですね笑

ホントに、ただ、行ってみたい、作ってみたいだけなんですね。

 

先ほども書きましたが

僕の元祖はインターステラーです。

高校で初めて観た映画で、僕は素晴らしい経験をしました。

だってロケットに乗って、宇宙へ行ってブラックホール入って

ウラシマ効果感じてしまったんですもん。5次元空間行ってしまったんですもん。

観る以前も宇宙は大好きでしたが、一気に好きになったきっかけですね。

 

恐らく僕は

人間の想像を絶するほど、壮大な何かに、猛烈に惹かれるんだと思います。

そんな時ってないですか?

飛行やロケット、宇宙や星空など。。

僕の好きなものはほとんどスケールが巨大なんです。

なので、好奇心でしかないんです。

 

また、いまだ僕は日本のアニメで

本格的な宇宙SFを見たことがありません。

海外のアニメでも無いんです。

なんでですかね?かなりブルーオーシャンな領域で

かつ需要もあると思うんですけどね。

しかも宇宙は人類全体のロマンであるので、グローバルに展開すれば

とんでもない人気になると思ってます。

それだけで作る価値があると思ったんですね。

無いなら作っちゃえ!て感じて、挑戦してみたいと思います。

 

⑥今までのアニメ表現に風穴を開けたい

今の日本のアニメって、正直見る気ないです。

アニメーション然り、ストーリー然り、作画然り

なんだか一つのテンプレに全てハマっている気がして

それは成功手段の一つなんでしょうけど

正直僕は全然面白くないんですよ。

一つの可能性にかけるあまり、そのほかの有効な選択肢が

全て失われているように思いました。

ひたすら同じ料理を食べている感覚と同じですかね。

 

もしかしたら気づいていない、挑戦していないだけで

さらに面白い映像表現があるのではないでしょうか?

もしかしたら勘違いかもしれないですけど

可能性が1%でもある限り、挑戦してみたいんです。

なんかそんな気がしてしょうがないので

僕は、既存のアニメシステムに捉われない

新しいアニメーションを常に探求していきたいです。

そのために、武蔵野美術大学へ行って、映像とはなんたるかを

0から考えていきたいなと考えてます。

 

●最後に

とにかく僕は、「この世の中には生きる価値があるんだ」

信じるため、信じて頂くために創作をしているんだと思います。

これから、どうなるかは正直分かりませんが

様々な方と共に、面白い作品を作っていければと考えています。

どんな形でも良いので、応援して頂ければ嬉しいです。

 

お疲れさまでした!

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。

カネザキユウタ

“【映像を創る理由】負け続けた人生だからこそ、表現できるものがある。” への2件の返信

  1. 始めまして。
    たまたまこのブログを見つけて、そこでタウンワーカーズ 第二話「君の夢を読む」を観ましたが非常に面白かったです。
    男の子が帰る時にはため口になっているのがさすがだなって思いました。こういう細かい演出が良いんですよね。
    こういうアニメを知れて良かったです。ありがとうございました。
    カネザキさんがこういうアニメを作るのを心待ちにしてます。

    SFなら『ガタカ』という映画が合うかも知れませんね。ブログを拝見した感じだと、この映画がマッチしそうです。

    それでは制作頑張ってください。

    1. コメントありがとうございます!
      こういう何気ないただ、帰るだけだったり、ただ何かするだけだけど
      感傷的な気分になるお話めちゃ好みですね~。

      ガタカ中々独創的な映画っぽいですね。ぜひ鑑賞させて頂きます!
      たまたま見た動画で、24で死んだキャラが出てきて若干焦りました(;’∀’)

      それでは制作頑張らせて頂きます~!

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